【指導の失敗談!?】相手を、自分をよく知ることが大事
こんにちは!ひかるです。
今回は囲碁を教えたり教わったりする方に向けて僕の失敗談と、
そこから学んだことについてお話ししたいと思います。
そして囲碁の指導者や指導者から教わっている方に今一度教え方や教わり方を考えていただけたら幸です。
これを読んだ方はもしかしたら
ひかるって奴は大した指導者じゃないな!
と思うかもしれません。
でも、指導者という立場からの失敗談ってあまり聞くことないですよね?
だからこそしっかりと書き残しておかなくてはと思うのです。
目次
本心は単純ではないからよく知る必要がある
今回の記事の要点は以下のツイートにすべてまとめてあります(笑)
【まとめ】
相手の本心は単純でないことがほとんどです。「強くなりたい」→「学ぶ」
が直結して行動できるストイックな人は極稀です。
だから指導は相手を知ることが大事。
僕がブログで碁の不安を取り除く記事を書いて広めたいのもそういう意味です。
(結局宣伝みたいなオチですが本心ですw)— ひかる@世界一やさしい囲碁ブログ (@hikarugoblog) July 15, 2019
基本的に強くなりたいと思っていても、その為だけに真っすぐ努力(そして継続)出来る人ってほぼいません。
だからこそ指導では相手を知ることが大事。
指導を受ける人が指導者にとって必要な情報を全て開示することってまずありません。
受ける側が悪いってことではありませんよ。
例えば「強くなりたい!(でも努力はあまりできない…)」
この()内の部分までしっかり伝える人って少ないですし、そこまで聞く人も少ないでしょう。
しかしこれは指導の度合いやペースを決める大切な部分です。
だからなるべくハッキリと伝わるようにすると良いと思います。
以下は僕が過去に体験した指導と失敗したと感じた失敗談になります。
指導を受ける目的を確認
今から何年も前の話になりますが、そのときも僕は囲碁の指導をしていました。
当時個人指導で定期的に指導に当たっていた人は一人です。
その方をAさんとします。
Aさんは当時2~5級を行き来していました。
目標は初段、そしてそのための指導を受けたいということでした。
対局や面談など、指導をする内に伸び悩んでいる点がハッキリしてきました。
当時の伸び悩みの問題点は接近戦で読む習慣がないこと。
どれだけ定石や布石の知識があって序盤で打ちやすい形勢になったとしても、中盤での接近戦は避けがたく、そこで大きく損をしてしまえば元も子もありません。
苦手な分野も最低限の技術は必要
大人が二年半で五段になった話 EP3「読みの弱点を回避する」で詳しく書いていますが、弱点があることが直接負けに繋がるわけではありません。しかし、全くできなくてもいいとか、何もしなくていいというわけではありません。
また、初段は決して低い難易度ではありません。
初段を目標とするなら、読みなら最低でも3手は常に読むことが必要です。
弱点を自覚!あとは行動するだけ!
Aさんも読みが問題であることを自覚。
つまり対局中常に読む習慣をつけることが直近の目標。
あとは本人が行動するだけというところまで行きました。
…しかし中々乗り越えられません。
Aさんが全く努力をしていない訳ではないんですよ。
しかし一日や二日の少しの時間頑張っただけでは焼け石に水というものです。
努力が結果に還元されるのは継続あってのものだということは皆さんご存知の通りですよね。
しかしこの継続が中々にむずかしいもの。
僕も含め、苦手の克服のために継続して頑張ることに苦手意識がある方は多いのではないでしょうか?
Aさんも同じでした。
僕は当時の自分が出来る限りのサポートをしましたが、Aさんは継続した行動に移せません。
Aさんの年齢は僕の3倍近く上です。
そこで僕はAさんが今までに何か目標のために継続してやってきたことを参考にして、Aさんが継続するためのヒントを得ようとしました。
Aさんの返答については控えさせていただきますが、そこから具体的にヒントは見つかりませんでした。
目的の確認「なんのために指導を受けている?」
僕はどうしても行動に移せないAさんを見て今一度目的を確認しました。
目的は初段になること。
そして指導を受けるのは初段になるため。
最初と変わりませんでした。
しかし初段になるために今立ちはだかっている壁は明らかです。
それを緩和する手伝いは出来ても、登ろうとする意思がなければ立ち尽くしてしまうだけです。
最後は本人の意思と行動が必要になります。
それでも初段になりたいということだったので僕は根気よく指導していく必要を感じ、引き続き指導に当たることにしました。
同じことをループしてしまう
ここで一つ僕の失敗がありました。
初段相当に必要な読みの最低限の力である3手読みの習慣。
教え方や読みの仕方を試行錯誤しながらこれの習得に注力しました。
しかしどうしても要所で
「まぁ大丈夫だろう」
「ここはこの形だから平気」
と、中途半端な知識に頼って読みをしません。
それはときに大きな損をしてしまいます。
こうして原因はわかっているのに
同じ失敗を繰り返してしまったのです。
同じ失敗も3度までならOK
「仏の顔も三度まで」ということばがありますね。
回数に深い意味があるかはわかりませんが、人間は同じ失敗を繰り返してしまうことがあります。
そういう意味で、同じ失敗をすることが悪いことではありません。
何が良くないかと言えば、修正しようとしないことでしょう。
Aさんが修正できないことを知りつつも、根気よくやればいつかは…と方針を変えずにいたことは失敗と言えるかもしれません。
叱るのと怒るのは違う
あるときAさんがほかの生徒さん達と囲碁大会に出るということで応援に行きました。
結果はAさんが思っていたよりふるいませんでした。
二人になったときに大会について
・勝ちたくてあえて低い級で申請したこと
・相手を侮り適当な手を打ったこと
そして勉強しているのに全然うまくならないのは才能が無いからだとこぼされました。
大会に過少申告することについては、現状では多くの人がやっている可能性が高く問題としてもよく挙げられます。
これについて僕が良し悪しを決めることは出来ませんが、僕は相手を侮って真剣に打たなかったAさんを初めて叱りました。
目上どころか自分にとっては祖父母とおなじくらいの年齢の人です。
若造の言葉がどこまで響いたのかはわかりません。
しかし初段を目指すと言い、普段から碁の勉強をしているAさんのことは知っていました。
だからこそいい加減な気持ちで碁を打って才能のせいにするAさんを叱りました。
しかし、そこに怒りの感情がなかったかと言えば完全に否定できません。
もう何年も前のことなので記憶も薄くなってきていますが、怒っていたかもしれません。
感情的になっては相手に本当に伝えたいこと、相手を侮って打つことは初段を目指すことと真逆であることを伝えられないのです。
度合いによっては恐怖など負の感情を与えてしまいますからここは注意が必要です。
その後、目的を確かめると…?
大会のあと、個人指導の前にAさんにもう一度目的を確認しました。
するとAさんの目的は初段を目指すことであり、そのために指導を受けていることは変わりませんでした。
そこで肝心な
初段になるための努力は出来るのか?
という根本の部分を確かめる質問をしました。
するとAさんは
初段にはなりたいがそのための努力は出来ない。
と言いました。
ここで僕は少しの驚きと、今までの行動に納得したこととでAさんとはその日までの指導としました。
Aさんがどこで自分は努力できないと気づいたのかはわかりません。
叱ったときかもしれないし、最初の頃からかもしれません。
しかしAさんが自分の本心を打ち明けてくれたことはとても大事で、
これ以上お互いにとって意味をなさない指導をする(受ける)ことがなくなりました。
僕としては
もう少し早く気づけなかったのか?
叱ったときに感情的になってしまったのではないか?
など色々考えましたが答えが見つかるわけもなく、反省をしたのでした。
どのように囲碁と関わりたいか自己分析をしよう!
碁の指導を受ける人は少なからず上達したいという気持ちを持っています。
そして指導者はそれを含め指導に当たります。
しかしその度合いを考えてみてほしいのです。
例えば
かなり時間を割いてでも毎日努力して大きく力を付けたいのか?
それとも
週二時間の教室で先生の話を聴くだけが良いのか?
など具体的に自分がどれくらい碁に労力を費やしてでも上達したいのかを自分で把握しておくと良いです。
そうすれば指導者にそれを伝えることもできますし、指導者はそれに沿ってアドバイスができます。
最初に書いたように指導者は相手の事情やペースを深く理解していたほうがよりピンポイントで指導しやすいです。
教わる側の人に指導者視点からのおすすめとして、自分がどのように碁と関わりたいのかはっきり伝えると良いですね。
指導者は深く理解できるように努めると指導満足度が上がるでしょう。
みなさんの囲碁ライフの役に立ちますように。
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