冷めない熱を大会へ/Sakayaエピソード3
こんにちはSakayaです。
今日は学生時代のエピソードについて話します。
推薦
私は中学3年生でプロ棋士を諦め、高校進学をした。
院生を辞めた後1年間は大会に出られないという制約があった為、囲碁部でぼちぼち指導をし、高校生活を謳歌していた。
そこで元院生仲間であったS君から信じられない話を聞く。
「全国高校囲碁選手権で4位以上になると推薦で早稲田に行けるよ。」
衝撃である。
それから高校選手権の際は大学受験だと思いながら対局していた。
そうすると何故か個人全国4位団体全国3位になることができた。
表彰式の際の心中は「早稲田に行ける…早稲田に行ける…」である。
そして早稲田を推薦で受験した。面接でも心象は良さそうで、握手までされた。
これは勝ちである。ウキウキ気分で合格発表を待っていた。
しかし、不合格であった。絶望である。
打倒、早稲田
なんやかんやあり、私は東京理科大に進学した。
大学では他校と競う5人一組の団体戦があり、関東大会では強さ分けされたリーグ(上から順に1部~5部)があった。
関東大会で1部の優勝校のみが全国大会に出場出来る仕組みで、理科大は3部の7位。
つまり弱小囲碁部である。
当時理科大には2人の元院生がいて、そこに私と元院生のK君が入ってきた。
元院生が4人になり、気付けば理科大は1部の上位4校に入るまでになった。
当時の学生囲碁界では
東の「早稲田」
西の「立命館」
と言われ、この2校が強豪校でありいつも全国優勝を争っていた。
早稲田受験で握手までされたSakayaは何を考えたか。
それはもちろん「早稲田を倒して全国優勝」である。
(早稲田の人達ごめんなさい)
そこで、まず理科大の部長になった。そして、プロ試験を受けていたM君をまず理科大に呼んだ。
また、某プロキラーのK君も何故か入って来た。
あっという間に準備万端である。
私の熱量は凄まじいものがあったはずである。何せ受験時代の頃からの思いが溢れていた。
そして私は主将として、対早稲田に万全の体制を整えて学生最後の関東大会に挑んだ。
盤上の地を数え終えると、格上の相手に10目半勝っていた。感無量である。
これで関東大会で優勝して全国優勝だと思った。
しかし仲間たちは皆1目半や半目負けで結果1-4となり、夢は崩れ去った。
絶望である。
しかし、ここで私の早稲田への思いは一瞬にして昇華されたのである。
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(執筆:Sakaya)
(編集:ひかる)